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カントの世界市民主義―十八世紀ドイツ啓蒙におけるカント歴史哲学の知識社会学的研究― 晃洋書房、2020年2月 知識社会学的手法によって、カント同時代の「ベルリン水曜会」を発掘し、「啓蒙」の社会規範としての道徳性優位のエートスを析出する。その上で、カント一次資料のデータベースを駆使して精査し、カント歴史哲学の重層的構造(「開化 Kultivieren」「市民化 Zivilisieren」「道徳化 Moralisieren」)と、それに基づく道徳的な「世界市民社会」の理念を明らかにする。渾身の単著、ついに上梓。 【書評】 『図書新聞』(第3463号、2020年9月12日、第3面) |
不安のア・ラ・カルト 西日本新聞社、2005年11月 編者および第1章「不安」と哲学的人間観(pp.5-30)を担当。(共著者)西田雅弘、上倉一男、横山博司、衛藤吉則、関野秀明。「不安」の概念に着目して、古代ギリシア以来の理性主義的な人間観と、理性主義の歴史的挫折と言われる近代以降の人間観を比較対照している。克服されるべき「不安」が現代の哲学的人間観の核心に位置づけられる経緯を解明。ハイデガーを手掛かりに、客観的対象としての「他人の死」と主観的実存としての「私の死」の違いにも言及している。下関市立大学市民大学連続テーマ講座の実施を契機に出版。 |
現代世界の思想的課題 弘文堂、1998年2月 第8章「平和」(pp.176-199)を担当。(共著者)中山 愈、藤永芳純、池辺 寧、村若 修、松友昭繁、秋山博正、西田雅弘。「構造的暴力の排除」という平和概念を念頭に置きながら、人類の歴史における平和思想の諸段階を概観している。古代では、「ローマの平和」に見られるように、平和は特定の市民や民族だけの平和であった。18世紀のヨーロッパにおいて諸国家間の国際平和が考えられるようになったが、まだ戦争の意義を認める余地が残っていた。現代の世界政府論の構想は、民族主義的発想がネックとなって、未だ実現していない。
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倫理思想―原典からの思索 第一学習社、1990年5月 第1章「プラトン」(pp.8-17)を担当。(共著者)新本豊三、越智 貢、西田雅弘、畠中和生、秋山博正、大森彰人、村若 修、後藤弘志、池辺 寧、三石稔憲。ソクラテスの死の意味に触れ、イデア論、国家論を中心にプラトン思想を概観している。イデア論では、『メノン』における想起説、『饗宴』におけるエロース論、『国家』における洞窟の比喩を、原典解題と原典資料の掲載によって紹介している。国家論では、個人の徳と理想国家の徳が平行関係にあることに触れ、理想国家は哲学者の統治によって初めて可能になるというプラトンの哲人政治論を略述している。
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カントとドイツ近代思想 以文社、1990年3月 第1章「カント」序言および認識 論(pp.14-35)を担当。(共著者)小倉貞秀、木場猛夫、
定金 博、弘 睦夫、山戸輝雄、 中村雅樹、西 英久、永野文一、 松井富美男、西田雅弘、畠中和
生、秋山博正。カントの生涯と著作を概観し、彼の認識論を略述している。認識論の略述に際しては、まず啓蒙の時代の哲学的潮流を踏まえた上
で、カントの哲学的立場とその発 想を明らかにし、さらに「超越論 的感性論」に続く「超越論的論理学」では、「超越論的分析論」に
限定することなく、「超越論的弁 証論」の合理的心理学、合理的宇 宙論、合理的神学の内容にも言及
して、カントの哲学的意図が明ら かになるように留意している。
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カントの形式主義と世界市民主義―「嘘」論文に対する批判を糸口にして― 『下関市立大学論集』第64巻第2号、pp.105-114、2020年9月 New! 人殺しに追われた友人が逃げ込んできたときですら、後を追ってきた人殺しに、この家にいないと嘘をついてはいけない。真実を言うことが義務だからである。常識外れの戯画化されたカントの「形式主義」について、批判者コンスタンへの再批判という着眼で「嘘」論文を読み解いている。コンスタンが原則の「適用」に目を向けているのに対して、カントは適用に先立つ「原則」に目を向けている。(→リポジトリ) |
カント世界市民主義の現代的意義―道徳的な「世界市民」という理念― 『下関市立大学論集』第62巻第2号、pp.59-68、2018年9月 平成26年度〜平成29年度科学研究費助成事業(基盤研究(C))の研究成果報告冊子「カントの世界市民主義―十八世紀ドイツ啓蒙におけるカント歴史哲学の知識社会学的研究―」(2018年2月、364頁)の概要を叙述し、現代的意義について若干の考察を加えている。現代のネットワーク型社会は、カントの「目的の国」と構造的な相似関係になっており、そこでのカギは、個々の構成員の「道徳性」である。(→リポジトリ) |
カントの教育概念―歴史哲学の視角から― 『下関市立大学創立60周年記念論文集』、pp.143-152、2017年3月 『教育学』(1803年)の「序説」における4通りの概念の区分と、それ以降の「本論」における3通りの概念の区分を手掛かりにして、そこからカントの教育概念、とりわけ「実践的教育」の概念構成を析出している。「学校的陶冶」「実用的陶冶」「道徳的陶冶」という構成は、カント歴史哲学の「開化」「市民化」「道徳化」の重層的構造に重なっている。カント『教育学』は、カント歴史哲学の視角から見定められるときに、はじめてその意義や位置づけが明らかになる。(→リポジトリ) |
カント晩年の筆禍事件―カント実践哲学の知識社会学的研究の手がかりとして― 『下関市立大学論集』第59巻第3号、pp.103-115、2016年1月 カントは晩年『単なる理性の限界内の宗教』(1793年)の出版によって、当局から講述禁止の勅令を受けた。そして、国王が亡くなった翌年、『諸学部の争い』(1798年)でその時の経緯を暴露している。この筆禍事件について、書簡を中心に当時の社会情勢やカントの心情を詳しく追跡した。カントが、「良心的に適法的に」、あくまでも「原則」に即した振る舞いをしようとしているところに、カント倫理学と社会との関係性が如実に顕在化していると見ることができる。(→リポジトリ) |
カント世界市民主義研究のための序論―「欲望の体系」と「幸福であるに値すること」― 『下関市立大学論集』第59巻第1号、pp.75-91、2015年5月 一般に「市民社会」とは市民革命によって生みだされた社会として、資本主義社会とともに近代社会を構成するものである。言うまでもなく、カントの時代のプロイセンは、まだ封建的土地所有制度、身分制度および絶対王政の時代であった。それにもかかわらず、カント自身は「市民社会」について語っていないわけではない。カント市民社会論の様相を「幸福であるに値すること die Wuerdigkeit gluecklich zu sein」という言い回しを糸口にして読み解こうとしている。(→リポジトリ) |
ベルリン水曜会の射程と限界―G.ビルチュ「ベルリン水曜会」に即して― 『下関市立大学論集』第57巻第3号、pp.107-115、2014年1月 G.ビルチュ「ベルリン水曜会」(1987年)に即して、個々の会員のスケッチとベルリン水曜会の特質を明らかにしている。会員の中核は、絶対主義的改革国家の聖俗高級官僚たちであり、そのため、「啓蒙」の内実として「思想の自由」や「良心の自由」を主張することはあっても、その射程は決して「政治的自由」にまでは及ばなかった。それはむしろ歓迎されないものだった。プロイセンの啓蒙の営みは、あくまでも「改革官僚政治」の枠内を出なかった。(→リポジトリ) |
ベルリン水曜会の啓蒙論議―カント『啓蒙とは何か』(1784年)の歴史的地平― 『下関市立大学論集』第56巻第1号、pp.43-60、2012年5月 カントの同時代の一般的な思想状況を探るために、フリードリヒ大王のブレインたちの秘密結社である「ベルリン水曜会」の啓蒙論議に光をあてている。この「ベルリン水曜会」の機関誌である『ベルリン月報』に、カントは多くの歴史哲学の論考を掲載した。啓蒙活動を「反乱の意図的煽動」とみなす社会状況の中で、身分的階層社会を前提に、「出版の自由」「先入見の根絶」「革命の危機」などに論議が集中し、啓蒙の焦点を「大衆」に置くか「知識身分」に置くかかで意見が分かれた。(→リポジトリ) |
カント実践哲学の重層的構造―『永遠平和のために』(1795年)における「市民化」と「道徳化」― 『下関市立大学論集』第54巻第3号、pp.137-152、2011年1月 カント実践哲学における「開化」「市民化」「道徳化」という「3つの基本形式」が、『永遠平和のために』においてどのような様相を呈しているかを明らかにしている。「予備条項」ではそのほとんどの条項が道徳的な理由から禁止とされているのに対して、「確定条項」では、法の議論に徹底しているようにも見えるが、精査すると道徳的な議論の層も垣間見える。さらに「付録T」では「予備条項」の道徳的な議論の層が再び顕在化し、道徳が政治の不可欠の条件であることが要求されている。(→リポジトリ) |
定言命法と世界市民主義―カント『世界市民的見地における普遍史の理念』(1784年)を手掛かりに― 『下関市立大学論集』第53巻第3号、pp.119-135、2010年1月 『普遍史の理念』から析出されるカント世界市民主義は、「開化」「市民化」「道徳化」という人間行為の重層的構造によって示される。この重層的な基本形式は、カントの初期の思索から生じて最終的に「仮言命法」と「定言命法」の区別へと結晶化している。「道徳の命法」としての「定言命法」と、世界市民主義によって刻印される「道徳化」の使命との関連性は、このように顕在化される。それゆえ、「定言命法」はカント世界市民主義の形而上学的表現であると言うことができる。(→リポジトリ) |
カントにおける世界市民主義の道徳的様相―『人間学』(1798年)とその遺稿を手がかりに― 『下関市立大学論集』第52巻第3号、pp.87-101、2009年1月 カントによれば、人間には「技術的素質」「実用的素質」「道徳的素質」があり、「教化kultivieren」「市民化zivilisieren」「道徳化moralisieren」によってそれぞれの素質を実現することが人類の使命である。「市民化」による市民的体制としての諸国家は、互いに敵対しつつも共存するために「連合」を目指し、「連合」はさらに、道徳化された「世界市民社会」を目指す。このような未来の歴史記述のうちに、カントによって切り拓かれた近代的な世界市民主義の道徳的様相を看取することができる。(→リポジトリ) |
カント市民社会論の歴史的社会的様相―ハーバーマスの「市民的公共性」の概念を手がかりに― 『下関市立大学論集』第51巻第1・2・3合併号、pp.99-114 、2008年1月 ハーバーマス『公共性の構造転換』のカント記述を手がかりに、カント市民社会論の歴史的社会的様相およびその背景を明らかにしようとしている。カント市民社会論は「自由競争下の商品所有者」、いわゆる「市民」たちの特定の社会関係を背景にしている。この「市民」は、「理性の公共的使用」としての「啓蒙」の担い手であり、一方で「読書世界」の成員として「学者」のように振る舞いつつ、他方でみずからの「財産」をもつことによって政治的な「投票権」を有する存在であった。(→リポジトリ) |
世界市民主義の系譜とカントにおける世界市民的な地平 『下関市立大学創立50周年記念論文集』 、pp.183-194、2007年3月 通常カントの哲学は「人間」の哲学だと言われる。しかし、そのように言われる場合の「人間」の概念は曖昧なのではないか。カントは明らかに「世界市民としての人間」を念頭に置いており、この人間観はギリシア以来の世界市民主義の系譜に直結している。世界市民主義の系譜と諸相を概観した後、「神秘的肢体」「恩寵の国」とカントの「道徳的世界」の結び付きおよび両者の質的差異を示して、カントが世界市民主義の近代的な地平を切り拓いていることを明らかにしようとしている。(→リポジトリ) |
カントの重層的市民社会論―「自由」「平等」「自立」と「博愛」― 『下関市立大学論集』第48巻第3号、pp.85-94、2005年1月 法的市民社会論と倫理的市民社会論の重層的構造という視点から、現時点までの文献内在的なカント市民社会論研究の成果を総括して素描している。カントにおける2つの市民社会論は、外的適法性と内的道徳性という市民社会に関する2つの観点を提供している。カントは、法的市民社会の形成を前提としつつ、倫理的市民社会の実践的統制的意義を指摘する。このような重層性をそなえた理念的な市民社会が「世界市民社会」にほかならない。(→リポジトリ) |
カントの倫理的市民社会論―『単なる理性の限界内の宗教』(1793年)の第三論文に基づいて― 『下関市立大学論集』第47巻第2号、pp.51-60、2003年9月 『単なる理性の限界内の宗教』(1793年)の市民社会論的性格を示した上で、第三論文に基づいてカントの倫理的市民社会論の内実が示される。実践理性が掲げる「徳の旗」によって、人類全体の「倫理的市民社会」が形成されるが、その体制は、より高次の道徳存在者を父とする「家族」にたとえられるものである。これによって法的市民社会の限界が補完されるところに、カント市民社会論の重層的構造を看取することができる。(→リポジトリ) |
「1つの世界共和国」と世界市民社会―カント『永久平和のために』(1795年)の確定条項を手掛かりに― 『下関市立大学論集』第46巻第2号、pp.67-74、2002年9月 『永久平和のために』(1795年)の3つの確定条項を手掛かりにして、カント世界市民社会論の重層的構造の解明への糸口が示される。カントの著作には「1つの世界共和国」を世界市民社会と見る箇所もないではないが、法的体制としての世界市民社会には消極的である。そのことは、他方に積極的な世界市民社会論が存在することを予想させ、「倫理的市民社会」「可想的共和国」などの概念がその解明のための糸口を与えるであろう。(→リポジトリ) |
カント市民社会論における「自由」「平等」「自立」―『理論と実践に関する俗言』(1793年)の第二論文に基づいて― 『下関市立大学論集』第45巻第2号、pp.81-89、2001年9月 『理論と実践に関する俗言』(1793年)の第二論文に基づいて、カントが市民的状態の3つの原理とする「自由」「平等」「自立」の概念が解明される。カントの議論は、すでに存在している市民社会の分析ではなくて、市民社会の成立を間近に予見しつつ、あるべき市民社会の姿を理念的に描いてみせるものであったが、この著作では、「臣下Untertan」の概念をめぐって、時事的な議論が交錯していると見るべきであろう。(→リポジトリ) |
カント市民社会論と批判倫理学―『世界市民的見地における普遍史の理念』(1784年)を手掛かりに― 『下関市立大学論集』第44巻第3号、pp.15-20、2001年1月 『道徳形而上学の基礎づけ』(1785年)とほぼ同時期に執筆された『普遍史の理念』に着目することによって、カント市民社会論と批判倫理学の分業と連携が浮き彫りにされる。両者はともに「世界市民社会」を予見しており、それについて現象的見地からアプローチするのがカント市民社会論であり、形而上学的見地からその原理を解明し確定するのが批判倫理学である。両者の接点には「善意志」の概念がある。(→リポジトリ) |
カント市民社会論の原風景―『頭の病気についての試論』(1764年)に基づいて― 『下関市立大学論集』第44巻第1号、pp.37-42、2000年5月 批判期に先立って執筆された『頭の病気についての試論』は、後年の著作が市民社会の理念や規範に比重を置くのに対して、現実の市民社会のありさまを論及の対象にしている。しかもそれを「頭の病気」と結び付けて辛辣に批判している。この小論には、プラトン的な手続きを採用することになるカント市民社会論の原風景が描き出されている、と見ることができよう。(→リポジトリ) |
カントの市民社会論―buergerlichの概念を手掛かりにして― 『下関市立大学論集』第43巻第2号、pp.137-157、1999年11月 カントは「臣民Untertan」という用語を用いながらも、それが国政に参与する資格をもつと見なされる場合には「市民Buerger」と呼んでいる。Untertanの社会にありながら、カントの意図は、将来建設されるべきBuergerの社会(「可想的共和国respublica noumenon」)を描いて見せるところにあったと見るべきであろう。buergerlichの概念を文献内在的に明らかにすることによって、カント独自の市民社会論を析出しようとしている。(→リポジトリ) |
カントの自律概念の市民社会的性格 小倉貞秀先生喜寿記念論集刊行委員会編『人間観をめぐる諸問題』西日本法規出版、pp.19-35、1999年8月 カントの道徳的自律の思想は、近代市民社会における自律的個人の主体的原理の概念的明確化にほかならない、とする見解を、(1)批判倫理学の形成過程、(2)批判倫理学と同時期に平行して発表された著作、(3)批判期以降の思想展開、の検討によって確証しようとしている。しかし、カント自身の論述に即してみる限り、自律概念の市民社会的性格は、それを否定することもできない代わりに、積極的に確証する論拠を見いだすこともできない。 |
大学の理念と公立大学『産業文化研究所所報』(下関市立大学附属産業文化研究所)第8号、pp.9-20、1998年3月 「大学」「地方自治」という2つの基軸を設定し、公立大学の理念的な姿を浮き彫りにした上で、その意義と役割について考察している。「学校」との差異、学問としての知識、教育・研究・教養の機能、などの点から「大学」について論じ、他方「地方自治の本旨」(住民自治・団体自治)とその現状を概観することによって、2つの基軸がAutonomie(自律・自治)の概念において交差することを明らかにした。(→リポジトリ) |
「教養」の倫理学的基礎 『下関市立大学論集』第40巻第1・2合併号、pp.259-275、1996年11月 「教養」概念の起源を遡り、古代ギリシアの「教養(パイデイアー)」について触れた上で、カント倫理学を援用することによって、「教養」の原理的前提としての「自律」概念について明らかにしている。「教養」には「魂の善さ」「人間としての徳」が不可欠であり、それが実践にかかわるものである限り、個人的行為の基本原理である倫理学的な「自律」概念が「教養」概念を基礎づけていると考えられる。(→リポジトリ) |
「理性の事実」における事実性について 『下関市立大学論集』第39巻第2・3合併号、pp.179-193、1996年1月 コンピュータ支援によってカントの全著作から網羅的に「事実」概念を検索し、それらを検討することによって「理性の事実」という概念をより広範な視野で見直そうと試みている。理論哲学では「自然概念に属する事実」だけが「事実」と見られるが、『判断力批判』では「自由概念に属する事実」もまたもう1つの別の「事実」として提示される。「理性の事実」は両者の中間的な様相を示しているのではなかろうか。(→リポジトリ)
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カント『道徳形而上学の基礎づけ』における「移り行き」の構造 『哲学』(広島哲学会)第47集、pp.1-14、1995年10月 『道徳形而上学の基礎づけ』における「移り行き」に注目して、その構造を分析することによって、カントの理性主義的立場を鮮明にした。欲求能力と実践理性がvermengenしている状態から実践理性の部分だけをabsondernし、実践理性がそれだけで意志を規定している状況、つまり「純粋な」実践理性を析出する。この「移り行き」を可能たらしめているのは、「原理の普遍性」にかかわるdenkenの能力である。
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カントの聖書解釈―社会史的研究序説― 『下関市立大学論集』第37巻第2号、pp.103-129、1993年9月 聖書解釈を追跡することによって、カントが同時代の社会的な人間関係の基軸をどこに見ていたのかを解明しようと試みている。『道徳形而上学の基礎づけ』におけるイエスへの言及は、目に見える善の「実例」と目に見えないその「原型」との関係を示唆しているが、そこには、見に見えるものを手段にしなければ内在する自分の理性を使用できない多数の無知な民衆の存在が前提されていた。(→リポジトリ)
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人間学としてのカント哲学―カントのプラトン把握を手掛かりにして― 『下関市立大学論集』第36巻第1・2合併号、pp.127-146、1992年9月 プラトンに対するカントの同調と批判を手掛かりにして、カント哲学を「形式主義的人間学」と捉え、批判的に考察している。カントの人間学の視線は、神的悟性の高みにではなく、常に人間の目の高さに保持されていた。しかし、人間性の本質を必然性と普遍性に見るカントは、直観の形式、思惟の形式におけるアプリオリ性への強い執着によって、人間の歴史的社会的な様相をそのうちに取り込むことができなかった。(→リポジトリ)
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カントの理性宗教のイデオロギー性 『広島大学文学部紀要』第51集、pp.77-95、1992年3月 宗教をめぐるドイツの一般的な歴史的状況を確認した上で、18世紀プロイセン社会におけるカントの理性宗教の歴史的社会的制約を見極めようと試みている。「宗教信仰」と「教会信仰」というカントの宗教論の二層性は、「知識人」と「非知識人」というカントの現実的な人間把握と重なり合っている。理性を規範として役立て、理性の限界内の宗教信仰の担い手たり得たのは、限られた知識人たちにほかならなかった。 |
カントの「倫理学方法論」と歴史哲学 『倫理学研究』(広島大学倫理学研究会)第4号、pp.3-22、1991年6月 本稿ではカントの倫理学方法論の全体像が素描され、そこにおける歴史哲学の意義が明らかにされる。倫理学方法論は、道徳的人格の完成のための方法論であり、個人の教育および市民社会の確立という2つの方法論から成り立っている。前者から後者への移り行きは、抽象的内的な段階から具体的外的な段階への移り行きを意味している。カントの歴史哲学は、この倫理学方法論の文脈において後者のための「保証」として導入されている。
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カントの大学論 ―1790年代におけるカント倫理学の現実的様相― 『広島大学文学部紀要』第50集、pp.42-60、1991年3月 本稿は、カント倫理学をカントの生きた時代と社会の中で捉えようとする試みである。このような視点からカント倫理学を見直すとき、糸口になるのはカントの大学論である。宗教をめぐるカントとプロイセン当局との衝突に由来する『学部の争い』、とりわけその第一部「哲学部と新学部の争い」は、フリードリッヒ・ヴィルヘルム二世統治下のプロイセンの政治的学術的情勢におけるカント倫理学の現実的様相を提供しているからである。
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カントの歴史哲学における「自然」の概念―「自然の意図」は独断的形而上学の残滓か― 『哲学』(広島哲学会)第42集、pp.28-41、1990年10月 カントは2通りの「自然」を措定している。1つは人間の悟性が構成する機械論的自然であり、もう1つは人間に理性を賦与した目的論的自然である。カントの批判的態度はこの両者を厳しく区別する。しかし、そのことは批判的態度が目的論的自然を否定するということを意味するのではないであろう。この2通りの「自然」は、われわれの日常的な社会生活の地平においてレベルの異なったものとして並存し得るのではないか。
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カントの平和論―カント倫理学の応用の実相― 『広島大学文学部紀要』第49巻、pp.60-80、1990年3月 カント倫理学の応用の側面は軽視される傾向が著しい。しかし、この傾向はカント倫理学そのものに由来するのではないであろう。カント倫理学は「基礎づけ」としての原理論と「応用」としての方法論の2本柱によって支えられていると考えられる。このような視点から、本稿はフリードリッヒ大王没後のカントに焦点を合わせ、カントの平和論が「最高善」を実現するための方法論であったことを示そうとしている。
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カントの教育論―道徳的理念はどのようにして実現されるか― 『倫理学研究』(広島大学倫理学研究会)第2号、pp.27-46、1989年6月 カントの倫理学は、抽象的な理性的存在者一般の倫理学であったのではない。カントによる道徳性の最高原理の探求と確立は、人間への応用を前提していたはずである。このような視点から本稿は、カントの教育論を、人間の日常生活のうちに意志の自律を具体的に実現する方法論として捉えている。しかしそれは、正しくさえあれば理念はいつかは必ず実現されるという楽観的な歴史観によって辛うじて支えられている。
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ラッセルとノックスにおけるヘーゲル像の差異―人倫性概念の解明のための予備的作業― 『倫理学研究』(広島大学倫理学研究会)第1号、pp.20-32、1988年6月 ラッセルとノックスは、ヘーゲルの評価において著しい対照をなしている。ラッセルは、ヘーゲルの思想を個人ではなく国家を強調する「全体主義」として捉え、ノックスは、ヘーゲルをカントの個人主義に人倫性という宗教的概念を付け加えた「カント主義者」として捉える。しかしながら、両者はそれぞれ人倫性の概念の特殊な局面を捉えているのであって、この概念は、個人にも全体にも「浸透」していると考えられる。
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カントにおける格率と法則―定言命法には内容がないのか― 『哲学』(広島哲学会)第36集、pp.14-27、1984年10月 カント倫理学において、道徳的行為の本質は、行為がその結果のためにではなく、行為それ自身のために行われることのうちにある。しかし、人間の行為である限り、そこには幸福という実質を想定せざるを得ない。幸福の度外視によって、定言命法は、実際上その制限を命じていると考えられるのではないか。本稿では、「格率」および「法則」の概念に着目して、形式的な定言命法から実質的な内容を読み取る試みがなされた。
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カント倫理学における義務と傾向性―カントとシラーは一致しているか― 『哲学』(広島哲学会)第35集、pp.48-62、1983年10月 シラーはカントの厳粛主義に対して、それを奉ずることを躊躇しなかったにもかかわらず、他方で痛烈に批判するという複雑な態度を示した。当事者によって完全な一致が確認されていたとしても、両者の関係を全体として調和本位に理解するのは有益ではない。なぜなら、カントは道徳が理性だけによって基礎づけられると主張したのに対して、シラーはそれが何らかの仕方で感性にも根ざしていないかどうかを問題にしたのだからである。
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【書評】 寺田俊郎著『どうすれば戦争はなくなるのか―カント『永遠平和のために』を読み直す』(現代書館、2019年)、『日本カント研究』第21巻、2020年9月17日、pp128-130、http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant21/kant21.pdf 【書評】 高田明宜著『希望としてのカント 恒久平和のために』(日本経済評論社、2018年)、図書新聞
3387号、2019年2月16日、第5面
「理性の事実」における事実性について 第46回広島哲学会大会(広島大学)、1995年11月11日
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