カントと二一世紀の平和論
 
発行日   2025(令和7)年8月30日
編 者 日本カント協会
発行者 渡辺 博史
発行所 人文書院
京都市伏見区竹田西内畑町9 〒612-8447
電話(075)603-1344
https://www.jimbunshoin.co.jp
印 刷 創栄図書印刷株式会社
定 価 本体3,800円+税
ISBN978-4-409-03141-4 C1010


 
 「カントとヒロシマ」はどのようにして可能か(西田雅弘) 〈pp.109-129、要旨〉
 
 カントの念頭には、一定の期間、特定の場所で、職業軍人たちが君主のために戦う「戦争」があった。それは「悲しむべき非常手段」だった。これに対してヒロシマの前提には「核兵器」とその廃絶がある。ヒロシマの希求する「世界恒久平和」とカントの「永遠平和」には大きな質的差異がある。いまさら『平和論』など時代錯誤ではないのか。

 しかし、どの時代の戦争であれ、それが人間の所業であることに変わりはない。カントによる「人間」への哲学的な洞察、とりわけ「道徳性」への洞察に着眼すれば、「カントとヒロシマ」という着想も可能になるのではないか。それはどのようにしてか。これが本論の課題である。そのために、『平和論』を糸口にして文献内在的なアプローチを試みている。

 『平和論』を注意深く子細に検証すると、法的議論の背景に「道徳性」が並行しているのを確認できる。「法」のテキストである『平和論』でこのようなことが生じるのはなぜか。

 『普遍史の理念』と『人間学』からカント歴史哲学の構造、すなわち「開化」「市民化」「道徳化」という「人類の使命」の重層的構造を析出できる。『平和論』はこのうち法的な「市民化」の議論であるが、重層的であるがゆえに「道徳化」も同時並行する。これが『平和論』に「道徳性」が並行している理由である。カギは、両者の結びついた「道徳的政治家」にある。

 さらに、『平和論』を歴史哲学の文脈で捉え直すことによって、その「道徳性」が「世界市民的使命」であることが顕在化する。この点に着眼すれば、ヒロシマは、カントの「世界市民主義」を核兵器時代固有の仕方で具現化していると見ることができるだろう。なぜなら、ヒロシマは「やられた日本」「やったアメリカ」を乗り越えて「全人類」の共存と繁栄を希求しているからである。

 本論は、ヒロシマに関する文献や証言を援用して、カントの洞察がヒロシマの哲学的な理論的支柱になり得ることを示唆している。