C11189が移設されたという情報を耳にした。2003年11月末、可部線無電化区間の廃止。終点三段峡駅前のC11189はかえりみる人もなくやがて朽ち果てて解体されてしまうのだろうと思っていただけに、これは予想外の朗報だった。しかし同時に他方で、痛みが進行し修復するにはその道のプロでもない限り難しい、ひょっとすると移設先でさらに惨めな見世物になっているのではないか、という危惧の念も。
とりあえず廃止後の三段峡駅を訪問。駅舎や駅名表示は以前のままだが、駅前の様子が一変。一区画の真新しいアスファルト舗装を除けば、かつてここに蒸気機関車が静態保存されていたことを示す証拠は何もない。意外に広かったんだなあ。C11189はどこへ行ってしまったのか。どんな状況でどんな姿で展示されているのか。
広島駅の東隣り、山陽本線天神川駅と芸備線矢賀駅にほど近いダイヤモンドシティソレイユ。映画館や本屋もある最近はやりの大型商業施設。ここが新たな設置場所。キリンビール広島工場の跡地に何かできたらしい程度の理解で、興味も関心もまったくなかった。買物する気はさらさらなく、ただ機関車の確認のためだけに訪問。正面入口の大きな広告塔の下に、機関車らしい姿が小さく見える。近づくと、それは紛れもなくC11189。
真新しい塗装の車体に赤いナンバープレートが映える。一見して修復の程度はかなりよさそうだ。惨めな見世物は杞憂だった。しかし、何か場違いな感じ。三段峡駅前もそうだったが、鹿児島や宮崎で活躍していたC11189をこの商業施設に静態保存する必然性がいまひとつ感じられない。説明板もあるが、C11についての簡単な一般的解説だけ。ただの客寄せにしては、移設や修復の経費負担が大きすぎるのではないか。う〜む、ナゾだなあ。
さらに近づいて細部を観察。三段峡駅前ですでにブロアーの蒸気管が一部脱落していたが、これは修復されずに欠落したまま。前後の標識灯の電線管も一部脱落したままで、内部の電線がはみ出している。運転室入口扉下端の腐食は薄板をあてがっただけ。台枠内側部分の缶被の腐食もそのまま。前照灯は前後とも薄緑色のレンズ入り。でも、これは上下逆かもしれないぞ。各種ロッドの銀塗装はまあやむを得ないか。
細部はともかく、修復作業の全体からはただならぬ印象を受ける。これはプロの仕事に違いない。砂箱の両側と石炭庫の梯子上端に取り付けられた「架線注意」は現行品の本物ではないのか。また、所属機関区を示す札挿の「広」の書体はまさに本物そっくり。ATS装備のSマークも素人なら書かないよね。このただならぬ印象は、運転室に入って確信に変わった。
運転室内部は、天井や側板までもが黒く塗られ、いわゆる室内色(明清色の鶯色?)ではないのでやや違和感を覚えるものの、各種の計器や機器はおそらくすべてそろっているに違いない。運転席のATS機器はまるで現役そのもの。露天のまま長年三段峡駅前に置かれていながら、運転室の保存状態はこれほど完璧だったのだろうか。う〜む、そうは思われない。それぞれの計器をさらに子細に観察。
ボイラー圧力計や速度計などの検査シールには「鹿児島」の文字。志布志機関区配置の経歴からすれば当然。しかし、シリンダー圧力計やブレーキ関連の圧力計は様子が違う。計器の外側は塗装されず真鍮色のまま。明らかにあとから取り付けた感じ。元空気ダメの圧力計の検査シールには、「8年1月」の年月とともに「広島車所」の文字。なるほど。今回の修復作業で不要品を流用して取り付けたということか。
何となく状況が見えてきたぞ。C11189の置かれたダイヤモンドシティソレイユは、JR西日本広島工場のすぐ近く。おそらく作業はこの広島工場で行われたのでしょうね。鉄道車輌のメンテナンスのプロの方たちによって。そう考えると、修復の質の高さも理解できる。新たな設置場所がここというのも、JR西日本と何か関係があるのでしょうか。機関車そのものはJR西日本の所有なのでしょうかね。
運転室に長居をしているうちに、外では見学の順番待ち。「写真のおじさんが出ない」と小さなお嬢さんがお母さんに言い付けている。ゴメンナサイね。そくささと外に出たものの、加減リンクの傾きが気になった。後進位置だ。展示するなら中立でしょう。いや、これだけの整備状況から考えると、汽笛の引き棒や各種のバルブと同様に、逆転機も操作できたのかもしれない。これは次回のお楽しみ。(2004/09/01)