昭和30年代から40年代にかけての子供時代、広島県西北部、可部線の非電化沿線で育ちました。この線区の主力機関車はC11。未明に加計方面へ貨物列車で下って、朝の上り客車列車、オハ35系3輌、で折り返し、夕方客車列車で下って、深夜貨物列車で折り返す、という1日2往復の運行(注1)。それ以外の列車は、オレンジとクリームのツートンカラーのキハ23。日中はたいてい1輌あるいは2輌編成。典型的なローカル支線の風景でした。
それでも年に数回、山陽本線の海田市駅に程近い親戚に遊びに行くことがありました。何よりの楽しみは、早朝、C62の牽引する下りブルートレイン「あさかぜ」を見ること(注2)。日頃見慣れたC11に比べ、C62の大きさとスピードに圧倒されたものです。また、多種多様な貨車を数え切れないほど牽引した長大な貨物列車にも驚いたものです。
最初の鉄道模型は、小学校低学年頃の三線式Oゲージ。2軸のEBナントカという電気機関車と数両の貨車。車掌室付きのワフは、テールランプが点灯するように改造していました。円周と直線を組み合わせただけの単純な線路でしたが、その後、分岐ポイントが加わったものの、さらなる展開はありませんでした。
HOゲージは、高校時代からですね。初めて手に入れたのはEF65の1000番台。6軸の電機がポイントを通過する様にウキウキしたものです。天賞堂のEF58も、当時は高校生のアルバイトで買えました。C59やC54を初め、20系客車やキハ82系編成など、現有のHOゲージ車両のほとんどはこの時期に買い集めたものです。キュウロクを9,600円で買ったと言っても信じてもらえないでしょうね。
いまから思えば、高校の学園祭で仲間数人とレイアウトを作り、運転会を披露したのが最盛期でした。その後は、わずか1間ほどの棚の上にレールを敷き、機関車たちを行きつ戻りつさせる程度です。最近は、東京出張の際に銀座の天賞堂を訪れ、ガラスケース越しにため息をつくのが関の山ってところです。
可部線からC11が消え、その後に導入されたDE10も、貨物の取り扱いがなくなって姿を消しました。いまでは可部線の非電化区間そのものの廃線さえ話題になっています。おそらくもう時間の問題でしょうね。箱に入ったままのHOゲージ車両たちに、せめて画面上だけでも日の目を見せてやりたい。そんな切ない思いで、このページを作成しました。
【後日談】 可部線の無電化区間は、2003年11月30日で廃止になりました。 こちら
(注1) このC11が何番機だったのか、ずっと曖昧なままでした。『C11全国区ふるさと機関車』(えい出版、2001年12月30日 発行)が貴重なデータを提供してくれています。昭和40年(1965年)およびそれ以降、広島機関区に関係するC11をリストアップしてみました。
機番 製造年 製造所 製造番号 配置区(1965年) 廃車年月日 最終配置区 C1131 昭和8年(1933年) 汽車会社 1207 広島 1970/08/13 米子 C11124 昭和12年(1937年) 日立製作所 952 宇部 1967/07/14 広島 C11327 昭和21年(1946年) 日本車輌 1418 広島 1967/07/14 広島 C11328 昭和21年(1946年) 日本車輌 1419 広島 1974/08/08 七尾 C11329 昭和21年(1946年) 日本車輌 1420 広島 1973/08/10 直方 C11330 昭和21年(1946年) 日本車輌 1421 広島 1972/03/04 木次
また、『広島鉄道管理局この10年史』(日本国有鉄道広島鉄道管理局、1976年3月31日発行)の第4部「管内で活躍した栄光のSL」には、C11330の写真とともに次の解説があります。
「昭和8年中頃」と言えば、C11の生産開始の翌年、まだデビューしたばかりの頃。上掲の『C11全国区ふるさと機関車』にも、「デビュウしたC11型が最初に配属されたのは、水戸、奈良、広島などで、初期の目的通り、近郊の旅客輸送に携わった」とあります。いずれにせよ、広島鉄道管理局管内支線区の可部線で、昭和30年代から40年代に私が目にしていたのは、上記のリストのC11だったのでしょう。形式C11 都市近郊の小単位旅客列車用として造られ、日華事変後は貨物や入換用にも多く使用された。管内では昭和8年中頃に広島に配置され呉線の旅客、貨物に用いられ、また管内支線区の客貨や入換などにも使用された。
なお、この写真のホームに電車が見えます。可部駅のようにも思えますが、機関車の後水タンクに架線の構造物の影が映っています。可部駅は電車ホーム以外に架線はなかったので、これは横川駅かもしれません。もしそうだとすれば、左端のホーム上の腰高の白い壁は改札に降りる階段でしょう。いずれにせよ、推測の域を出ません。
(注2) その時見たのは、本当にC62の牽引するブルートレイン「あさかぜ」だったのか。過去の記憶には、往々にして無意識のすりかえがあるらしい。確認する手立てを探していたところ、『季刊Jトレイン2002 vol.8』(イカロス出版、2002年12月20日発行)の「特集ブルトレ牽引機」が目に留まりました。
20系ブルートレインによる「あさかぜ」(東京〜博多)の運行開始は昭和33年(1958年)10月。当時、山陽本線は姫路まで電化が完成。東京〜姫路間が東京機関区のEF58、姫路〜下関間が下関運転所のC62、下関〜門司間が門司機関区のEF10、門司〜博多間が門司港機関区のC59。
その後の電化の進捗で、昭和38年(1963年)12月以降、東京〜広島間を東京機関区のEF60が牽引することになる。山陽本線の全線電化は、東海道新幹線東京〜新大阪間の開業と同じ昭和39年(1964年)10月。
記事を読む限り、昭和30年代中頃、海田市駅付近でブルートレイン「あさかぜ」を牽引していたのはC62に間違いないことが分かります。記憶は間違っていなかったのだ。いまだに、最後尾の客車の丸い屋根と照明入りの「あさかぜ」の文字が鮮烈な印象を記憶の隅に残しています。
電気機関車が牽引する「あさかぜ」を見た記憶はありません。海田市の親戚が引っ越したのはこの頃だったのかもしれない。
EF58(天賞堂)
ED70(カツミ)
C54(宮沢模型)
9600(珊瑚模型店)
B20(エンドウ)
キハユニ18+キハ17
EF58に引かれる20系客車(カニ21 etc.)
キハ82系
オハ35系客車を引くC54
混成列車を引く9600
9600の貨物列車
貨車の入替をするB20