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本西さんの訃報に接してもう2年近くになります。あまりにも唐突だったので、葬儀に参加することもできませんでした。愛用のメガネがご自宅の祭壇に置かれているのを見るまではとても本当だと思えませんでした。1年後にお墓参りをしてもまだ受け入れることができませんでした。何か書いておこうと思いながらずっと何も書けなかったのは、そういう気持ちの整理がつかないままだったからです。でも、気持ちの整理がついたからこうして書いているのではありません。いつまでたっても気持ちの整理はつかないのだと思うようになり、整理のつかない気持ちを書くしかないと自分に言い聞かせました。 まったくそういう素振りを見せないで、いきなりの訃報。カッコよすぎます。本西さんのホームページ「ガンと暮らす」で自宅療養になったという記述を見て、私はてっきり快方に向かっているのだとばかり理解していました。ホームページネタの闘病生活だから大したことないと勝手に思い込んでいたのです。ほんの数ヶ月前にライブスチームの運転会で私の機関車に乗っていただいたばかりでした。「また遊びましょう」と言った私の一言を本西さんはどんな思いで聞いたのでしょうか。 お互い単車のソロツーリング中、島根県の日御碕灯台の下で声を掛けてきたのが本西さんでした。約束した再会は本当に実現し、その後何度もツーリング。スズキのナナハンでは2ケツで阿蘇まで。狭いテントで宿泊したえびの高原のコスモス畑。そうそう私の実家にもお泊りいただきましたよね。お風呂を使っていただいたあと、湯気がこもらないように薄目に窓を開けていただいていたのを知って、細かい心遣いができる人だなあと感服したものです。私が自動二輪免許の限定解除を夢見るようになったのは本西さんのおかげです。 ログハウス、キャンピングトレーラーをはじめ、アウトドアの趣味にも共通するものがたくさんありました。娘さんたちがもう少し大きくなったら家族ぐるみでアウトドアを楽しみたいと思っていました。また、ライブスチームの工作では、師匠のミスターMとしてプロの助言をいただいていました。工具の使用方法に注意を受けたこともあったワフ製作がやっと完成。精度を追及したディテールの出来栄えを見ていただけないのが何よりも残念です。 幼なじみや同級生でもなく、職場の同僚でもないのに、ただ偶然出会っただけでこれほど身近な付き合いが長く続く人は本西さんのほかにありませんでした。どうしてこんな付き合いができるのかずっと不思議でなりませんでした。強い芯を持ちつつ細かい気配りと心遣いのできる本西さんの人柄だからこそと思います。とても大切なものを失ったと思わずにはいられません。 でも、いまだに冥福をお祈りする気持ちにはなれません。たしかに眼前の世界からは消えてしまったかもしれませんが、私の心の内では本西さんが生き続けているからです。あの世に行ってしまったわけではないのです。しかし、ではどうしてもう会えないのでしょう……。整理のつかない私の気持ちは、こうしていつまでも同じところをグルグル回り続けています。(2006/10/15) |
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